大学の講義用ブログ
地デジへ行こう!


地デジへ完全に移行される2011年まであと3年

私を含めて周りの友人や家族などはとっくに地デジへ移行が済んでいるのですが、まだまだ渋っている人たちがいるみたいですね。それもそのはずで、地デジには豊富な情報提供が可能なデータ放送やハイビジョン放送などのメリットがありますが、それ以上にデメリットもあるからです。以下のサイトによくまとまってるので参考までに...

じだいおくれの地デジのはなし

地デジに移行しない多くの人は、こんな小難しいことにも興味はなくて、たんに地デジが見れる環境にすることが面倒なのではないかと私は思っているのですが、地デジを推進している総務省やNHK、民放連などは後三年で完全移行と断言した手前そんなのんきなことは言ってられないのでしょう。広告や特番などで地デジ意向を勧めるという涙ぐましい努力をよく見かけます。

そうそう今回のブログは最近観た番組の批評がテーマです。ということでこの前偶然見たNHKの地デジ移行推進番組について雑感を書きたいと思います。(本当に偶然見ていただけなので番組名も思い出せないです^^;)

番組構成は地デジに完全移行している家庭のパパママがまだ地デジ未体験の家庭のパパママに、いかに地デジが素晴らしいか説明する形になっています。地デジ未体験パパママのうちママ役は友近でした。移行済み家族のパパはNHKのキャスターで、残りのそれぞれパパママは私は知らない芸人だと思います。内容は今までいろいろなところで聞かされてきた地デジのメリットが小コント調に紹介されるだけなのですが、気になったのはあまりデメリットには触れていなかった点です。触れたとしても「あら大丈夫なのそれぇ?」「大丈夫大丈夫、だって〜」といった感じでとにかく地デジをべた褒めしていたように感じられた点です。地デジ移行を促進するのが目的なのだから、こういった偏った内容になるのは当たり前なのかもしれませんが色々と問題が残っているのにも関わらず、とにかく地デジは素晴らしいとすりこんで無理やりにでもあと3年以内に移行しようというのはいかがなもんでしょうか?総務省+その他の焦りとプロパガンダを感じずにはいられません。

動きだしてしまった以上、なんのかんのいっても2011年には完全移行されるのでしょう。たとえ不満や不安は残っているとしても。ただ公平性という点からは、この番組は酷く偏ったものに思え、NHKの放送が政府の道具になっているように感じるのです(今更ではありますが)。

あんな臭い芝居で宣伝なんかしてないで、例えばB-CASなんて胡散臭いものを使わないとか、もっと真に国民が安心し満足して使えるサービスになるよう、サービスの質の向上に尽力すべきなんじゃないでしょうかね。

既に地デジに完全移行している私は本当なら文句を言うほど不満ではないのですが、あまりにもその番組が寒かったので批判してみました。

こいつはくせぇーッ! プロパガンダのにおいがプンプンするぜッーッ!





2008⁄07⁄26 00:19 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
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こどもとメディア


今回はメディア関係のNPOについて。

取り上げるNPOはここです→こどもとマルチメディア研究会

教育関係のNPOは沢山ありますが、IT社会とことさらに言うこともなくなりこどもとメディアの接し方が変わった現代では、「こども」と「メディア」と「教育」に関係したNPOの社会的役割は大きいのではないかと思います。

こどもがパソコンを使うかどうか選ぶのではなく、今自分がいる環境にはパソコンが当たり前のようにあって、それを使う使えるのが当たり前になってきつつあることからも分かるように、今のこどもはメディアに取り囲まれメディアに接しざるをえない状況にあると言えます。ただこれはけして悪いことではなく、こどもが成長の過程でメディアとちゃんとした触れあいを経験すれば、将来メディアは子供にとって有益なものとなるはずです。

そういった社会的希求のなかにあって、このNPOの活動の趣旨は以下の通りです。

・こどもがメディアと適切な接し方ができるようにメディアを扱った新しい教育の可能性を追及すること
・メディアによってこれまでの教育をより効率的なものとすること

このNPOでは幼児教育が対象のようですが、私も中学か高校でメディアの扱い方についての教育を受けた覚えがあります。ですが、あまり効果があったようには思えませんでした。メディアリテラシーを早期に身につける必要性がある現代に生きるこどもたちには、なおさらより身につきやすい効果的な教育方法を追及することは重要だと思います。

後者はダブルミーニングですね。一つは例えば理科などを映像教材を用いて分かりやすく教えるということを考えればいいでしょう。もう一つの意味は、教育現場にメディアを用いて情報提供するということです。急速にIT化が進み、こどもたちに新たな教育の必要性があるといわれるようになりましたが、教育現場がそれに対応できているかというと少し疑問です。今までパソコンに触れたことのない先生や親だっているでしょう。メディアに関する教育はこどもにするのはもちろんですが、その教育をする教師や親にだって必要なのです。こういった教育現場の情報不足を解消するためにメディアが効果的に利用出来るのです。

こういったメディアを用いた教育についての様々な可能性を教育機関に提供し支援することがこのNPO「こどもとマルチメディア研究会」の目的だと思われます。詳細な活動は公式HPだけからは分かりませんが、日本アイ・ビー・エムと協力して精力的に活動していることからも、このNPOのような団体が社会に必要である証左であると受けとってもいいのではないでしょうか。








2008⁄07⁄15 22:22 カテゴリー:NPO comment(0) trackback(0)
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生存報告


ブログを授業で与えられた課題とはいえ数か月にわたって、あまり記事は書いてないけど、とにかくある程度の期間ある程度の記事を自分で書いてみて思ったこと。

”生存報告”という言葉あります。そのままの意味で受け取ってもいいんですけど、ネット用語としてはこんな意味があります。

 ブログを長期間放置した為に、こいつ死んでるんじゃないか?
 と心配されているかもしれないと危惧し行う更新のこと  はてなダイアリーより

コミュニケーションを前提として考えたときに、例えばネット上やあるいはビジネスにおいても、情報を発信しなければ存在していないのと同義とよく言われています。ネットの力によって私たちが関われる社会の広さは確実に大きくなりました。けれど、ネット上でただ情報を享受するだけの物言わぬ多くの人たちは果たしてリアルで触れることのない誰かに認識されることはあるのでしょうか?ないでしょう。宣伝広告を打ちださない企業は市場において認知されるでしょうか?されません。今をときめくひきこもりやニートの方々が仮にネット上においても何も発信していなければ、彼らは社会的には存在しないのと同じではないでしょうか。そしてそれは普通に生活している私にしても言えることだと思います。私を含めて多くの人も、基本的にはロム専の物言わぬ聴衆でしょうから。そうすると、ネットで力を与えられたとしても結局は自分の周りの世界に限定されてしまいます。

こう考えたときに”生存報告”という言葉は、何も長期間更新が滞っている場合に限らなくてもいいように思えます。週に数回更新している人でも、日に何度も更新している人でも、情報を発信していればすべからく生存報告になりませんかね?「私はここに確かに生きている。何かを考えて、伝えたい何かを持っている。」自分という存在が活動していることをネットで広がった大きな世界に伝える生存報告としての機能がブログにもあるように思うのです。

今回のブログ演習を通して、私はその一端を垣間見た気がします。もちろんネットを通して社会全体に私の考えが通じたとは思いませんが、少なくとも稚拙が稚拙なりに考えた結果をここに残して、知らない誰かがアクセスできる可能性を作りました。それに同じ学科の学生や先生という狭い世界とはいえ、下手をすればこのまま関わることのないだろう人にコメントももらえましたし。もちろん他の人の生存報告もしっかりとキャッチできました。見ず知らずのクラスメイトというのは、話もしないで意識することもなければ、自分というミクロな世界においては存在しないのと同じです。そんな関わりのないであろう生徒もちゃんと物を考えていて生きている。彼ら彼女らが発信した情報を私は生存報告として受け取って自分の世界が広まる感覚を得ました。だからこの演習には意味があったと思います。

ここからは普通の反省
まずトラックバックはあまり利用できませんでした。ブログというと気楽に書いていいという思いがあって、今までにインプットした情報と自分で考えたことのみで駄文の山を築いてしまった気がします。もっと他の人の記事も参考にすべきだと思いました。

コメントは割と頑張ったような気がします(記事を書くことよりは^^;) redtail氏が講義用のブログにて「もっと反論せぇおまえら!」と叱咤激励しておりましたが、確かに反論は一回もしてないかも・・・。クラスという狭い範囲でブログの相互評価をしていると、互いに記事を参考にし合っているからか、内容も結構似通ってますからね・・・ちょっと反論しづらかったのですと言い訳しときます。

せっかくブログという、ネットの海で情報の相互発信をする場を得る機会を与えられたのだから、学科とも全然関係ないブログにコメントしたりトラックバックをしたり、そしてそのフィードバックを得たりすれば、得るところももっと大きかったのかなぁと反省。

とりあえず良い体験にはなりました。講義後も続くのかは不明ですが、ネットの海の広さ、あるいはその一部を体感できたことに感謝感謝。

ネットの海は広大だわ・・・






2008⁄07⁄09 10:46 カテゴリー:ブログ comment(2) trackback(0)
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パブリックアクセス


パブリックアクセス・・・知る権利を行使していると思われる私たち国民が、情報を受け取るだけにとどまらず、自ら情報の発信もしようというこの考え。ありそうでなかった?新聞で良く見る投稿欄がパブリックアクセスかと思っていたら、必ずしもあれが理想的なパブリックアクセスとは言えないみたいですね。なぜなら、国民は発信して欲しい情報を提供しているだけで、実際に発信する情報の選定は結局既存のメディアが行っているから!んー・・・難しい。

それで今回はなぜこのパブリックアクセスの概念が日本で普及していないか。なんででしょう?最初に思いついたのは日本のメディアの体制が米国などのそれよりガッチガチに固まっているからという理由です。当たっているかは分かりませんが^^;メディアを取り巻く政治やビジネスの色々な利権構造のせいで新しい潮流をメディア自体が受け入れていないことが理由の一つにはあるのではないでしょうか?

もう一つはメディアリテラシーの問題だと思いました。まずパブリックアクセスの国民の認知度が高くないです(私が知らないだけか・・・^^;)。パブリックアクセスに限らなくても、情報を読み解き、必要なら批判し再度発信するような情報に対しての積極性が日本人にはかけているような気がします。そしてそれはメディアリテラシーの教育が遅れているせいだと思いました。私の世代でもメディアリテラシーがどうこうなんて騒がれたのはそんなに昔のことじゃないです。高校の時に関連した授業があったかな・・・本か何かで自分から知った割合の方が大きいかもしれません。さっきから引き合いに出している米国などはなんと小中高で徹底してメディアリテラシー教育を施しているというじゃありませんか!日本人の大半がこうしてメディアリテラシーに劣っていることが、情報を受け身的に与えられているだけの姿勢に国民を甘んじさせ、パブリックアクセスという考えが浸透する下地が出来ていない現状に繋がっているのではないでしょうか。

私たちやそれより上の世代の方々は自ら勉強し、積極的にこのストリームに乗って権利を主張していかなければなりませんが、現在小中高で勉強している世代にはもっとメディアリテラシー教育を徹底して、自然にメディアや情報発信にもっと真摯に取り組んでいける国民になって欲しいものです。(投げやりなのはキニシナイ!)





2008⁄07⁄06 16:15 カテゴリー:ジャーナリズム comment(2) trackback(0)
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図書館が変わる


今回は指定管理者制度について

簡単に言えば図書館の運営を民間業者に委託するという制度らしい・・・。公共サービスを受ける市民・公共サービスを提供する民間業者・そのサービスの質を保証し責任をとる行政、この三つの新たな関係によって新しい図書館のあり方が始まっているそうです。

んー・・・私の知らない間にこんな制度が始まっていたなんて。月に5冊程度だから平均くらいには本を読んでる私ですが、借りるよりは買って持っていたい派なので図書館には全然いかないんですよね。今は古めの本でもAmazonなんかで安く買えますし。図書館なんて大学受験の時に勉強場所として利用していたくらいですかね。今でもレポートの文献に必要そうな時に大学の図書館を利用する程度です。

だからぶっちゃけた話図書館がどう変わろうがあまり私には関係ないのですが、それでも自分なりに指定管理者制度のメリットデメリットを考えてみます。民間が図書館を運営することの最大の強みは経費の削減とサービスの向上という一見矛盾するこの課題をクリアする可能性があるということです。民間ではこの二つを同時にクリアするのはある種至上命令のようなもので、そのために培ってきた運営スキルは図書館を持つ行政にとっても、それを利用する市民にとっても活かされるはずです。逆に言えば、公務員のお役所仕事スキルは経費の無駄と低品質なサービスの両方を満たしていた可能性があるわけですね(こんなこと言ったら怒られるかも^^;)

例えば運営時間が延びてるのもその例の一つですね。「あぁもう閉まってるorz」なんてありがちですから、授業が終わった学生や会社帰りのリーマンなどには8時9時までやっている民間運営の図書館の方がありがたいでしょう。人件費やその他面で経費カットに長けた民間の成果は行政にとってもうれしいでしょう。そうなると気になるのは図書館本来の役割、つまり蔵書ですね。どのような本をどのくらいの数有しているのか。この点に関して指定管理者制度導入以前と以後でどちらがいいのか。確かに民間が運営すると、いくら図書館の運営自体で利益を上げるわけではないとしても、成果をだすために売れ筋の人気のある本ばかり選書しそうです。そして例えば学生がレポートでたまに必要とする程度で、けれど学術的に価値の高い本などはちゃんと利用できるようになるのでしょうか。まぁそんなの大学図書館に任せておけという気もするんですが、こればっかりは委託された業者によるんですかねぇ・・・それよりも今は確実な経費削減ということか。








2008⁄07⁄06 15:17 カテゴリー:制度 comment(2) trackback(0)
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